ゆきのプロフィールと理念。

はじめまして、ゆきです。
私のこと知らないよって方がほとんどだと思うので、自己紹介させていただきます。

わたしはいま、
カメラせどりでご飯を食べています。

カメラは使ったことないド素人、
物販やったこともない初心者っていう状態からスタートして、

7か月後にはせどりだけで生活できるようになり、
いまでは、毎月のように月収100万円以上の利益を安定して稼いでいます

もともとは、銀座でホステスをしていて、
チーママという立場で働かせてもらっていました。

(チーママっていうのは、お店のトップであるママとほかの女の子たちの間を取りもつ存在で、
お店の2番手にあたります。会社員の方には中間管理職っていったらわかりやすいかも)


夜のお仕事って、お小遣い稼ぎくらいの
感覚でやってる人もけっこういますが、
私は本気でやっていたんです。


そのぶん努力もしていて、
銀座で勤めはじめて1年10ヶ月という早さでチーママに任命してもらいました。

だいたいのひとが30代、40代でなるところを
当時26歳でなったのでかなり早かったと思います。


そのまま行けば、
お店のママになるはずだったんですが、
2020年に世界中で大流行したコロナウイルスの影響でお店が閉店。

とつぜん無職なってしまいました。


生活していくために、
新しい稼ぐ手段を探している中で
たどり着いたのが「カメラせどり」でした。


無職になってからは生活費の確保とか、
税金の支払いに追われてすごく大変な状況だったのに、

カメラせどりに出会ってから、
無事に復活を果たすことができたんです。


なんと、
知識0、経験0の状態からビジネスを開始して
7ヶ月で月収30万円を達成できました。


いまは売上の規模が大きくなってきたので、
法人化もしています。



1からせどりをはじめて、
社長になったひとがどんな生活してるのかって、
なかなか想像つかないと思うので、

わたしの日常を箇条書きで紹介してみます。

  • 毎月のように月収100万円以上を稼げるようになった。
  • 友人とランチにいった帰りにちょっと仕入して、ランチ代回収。というか2~3万くらい利益でる。

  • ネット仕入も得意で、カフェにいってスマホをポチポチいじってるだけで、利益商品が買える。

  • 家事代行を利用する余裕がでたので、苦手だった掃除は自分でやらずにおまかせ
  • タクシーを気兼ねなく使えるようになって、満員電車にのらなくて済む。
  • 外食で値段を気にせず、好きなものを食べられる。

  • 食品の値上がり、電気代の値上がりなど、物価のインフレが気にならなくなった。

  • 朝は何時に起きてもいい生活。早起きしなきゃいけなくて憂鬱、ということがない。

  • 休みの日は自分で好きに決められる。朝、目が覚めて「うん、今日は休みにしよう!」ってこともできる。

  • 会社に所属しなくても、個人で稼いでいけるので、自由を感じている。

  • イヤな人、嫌いな人とは付き合わなくていいから、ストレスフリー。

  • 自分にとって大切な人。家族や友人と過ごせる時間を増やすことができた。

  • 稼げるようになった私をみて、親が安心してくれた。
  • 新しいチャレンジをしていて、日々成長を実感できるのが嬉しい。
  • 周りには前向きな人たちばかりなので、気持ちが明るくなる。

  • 同じように学び続けてる人、好奇心旺盛で行動しまくってる人と仲良くなれて、刺激をうけている。

  • 優秀な外注さんたちのおかげで、自分が遊びや学びに時間をつかっていても仕事が進む。
  • 1日2~3時間の作業だけでご飯が食べられるようになって、アニメ見まくってたけど暇すぎたので、もっと稼ごう!と決めた。


などなど、カメラせどりをはじめてから、
これが当たり前の日常になりました。


コロナ以前までがっつりやってた銀座ホステスも、
すごく大好きで、たくさんの学びや経験をもたらしてくれました。

ですが、いまの生活になってからは、
これまで想像したことのない
出会いや学びがいっぱいあり、

以前にも増して、充実した毎日を送ることができています。



カメラせどりやってます。というと、

「もともとカメラが好きだったんですか?」と
聞かれることがめちゃくちゃ多いんですが、
そうではなかったです。


最初にもお伝えした通り、
写真を撮るならスマホしか使ったことないから、カメラはド素人

物販もやったことなかったので、せどりで稼ぐ方法も知らなかった初心者でした。


でも「正しいやり方」を学んで行動していくことで
いまの自由な人生を手にれることができたんです。


これって、私にしかできないことじゃなく、
同じように取り組んでもらえば、
だれもができると確信しています。


今では自分の未来にわくわくして
毎日を過ごすことができていますが

とつぜん無職になってしまったときは、
この先どうやって生きていこうと
不安でいっぱいでした。


銀座でママをやるんだ、っていう目標を失い、
生活していくための手段もなくなって、
希望もなにもなかったです。


しかも、子どものころから
どうしても就職したくない。って思いがつよかったので、
今から会社員になるのはムリ。

なんていうワガママな思いもありました。

生活に困らなくなるような収入を稼ぎたい、
でも、会社にはいって
朝早くから仕事するのはイヤだ。

もし理不尽なこと言ってくる上司がいたらと思うと、やっぱり就職は無理。


それなのに、いったいどうしたら
キツイ現状を乗り越えられるのかわからない。


カメラせどりはじめるまでのわたしって、
ものすごく困り果てていたんです。



さて、このブログのコンセプトは何かというと、
「人生で今がいちばん楽しい!」といえる人を増やすこと。


過去のわたしのように、
現状をなんとか変えないと、
生活していくのもキツイって人だったり、

・子どものころは何でも新鮮で楽しかった。
・大学生は人生の夏休みだった。
・でも、社会人になるっていうのは、イヤなことを我慢することだ。


といったように、昔はよかったんだけど、
いまはなにも楽しくない。と感じている人の

人生が明るくなってもらいたい。
と思い発信しています。


人生楽しい!っていってる人と一緒にいると、
自分も幸せな気持ちになれるし、

そういう人と一緒に飲んだり、
旅行いったり、
語らったりしたいな。と思っています。



楽しい人生を歩むには、
お金の自由と、時間の自由が欠かせません。

そこでこのブログでは、
わたしの自由をもたらしてくれたカメラせどりの話。

に加えて、
・どうしたらより人生が充実していくのか、実践していることは何か。
・日々を楽しくすごすための考え方。

について発信していきます。


このブログを読んでいただくうえで
わたし自身の過去の経歴を共有しておくと

よりブログの内容を理解しやすくなると思います。

なので、わたしの過去の経歴と
このブログで目指すものについて
共有させてください。


―――――ゆきの物語――――――

目次

幼少期 ~友達と離れ、ゲームしてひとりの世界に~

幼いころは幼馴染もいて、
近所の友達と楽しく遊んでいました。

でもあるきっかけで、
ひとりで家にこもるようになりました。



私は幼稚園も保育園も通っていません。

たしか、申し込みの期間を過ぎてしまっただとか
よくわからない理由で、
どちらにも通うことができなかったのです。



それまでは近所でいつも遊ぶ4人がいて、
みんな年がほぼ一緒だったのでいつも遊んでました。

でも4歳になったころ、
みんなは幼稚園、保育園に通うようになって



私は一人になりました。




兄弟はいたけど年が離れていて家にいない。

親は商売をしていて遊んでくれる時間がない。


一人を持てあました私は、
ゲームにはまりました。


家にあったスーパーファミコン(家庭用のゲーム機)
をやり倒しました。



時間だけはあったから、同じゲームを何周もしていました。



一緒に遊んでくれる相手がいなくて、

何もしていないと
ひとりで寂しいけど、

ゲームをしていたら
寂しさをまぎらわせることができたから。


それが後々まで響いてくるとは考えもせずに。

小学生 ~集団になじめず、寂しさをこじらせてた~

小学生になった私は、
いろんな寂しさを感じるようになりました。



ゲームばかりをやっていて、

友達と一緒に何かをすることも、
集団の中で何かをするってことにも
慣れていなくて、

なんとなく学校生活になじめない感じがしました。


あまり強い違和感ではなかったけど、


みんなは保育園のころから一緒にいて仲がいい。
でも自分は違う。


なんとなく入っていけないときがありました。






それ以上に寂しさを感じたのは
両親と過ごせる時間が少なかったから。



実家は商売をしていました。

私が小学生に上がるまえ、
コンビニをやるようになりました。



知っての通り、コンビニは24時間365日
ずっと営業しています。

最近では時短営業するところも見られますが、
私の両親は家にいる時間がすごく短くなりました。




あさ7時台には家を出て、
帰ってくるのは22時とか23時。

夜なんて小学生は寝てなきゃいけない時間です。



会えるのは朝の少しの時間。

そのころお兄ちゃんは寮生活をしていたし、
お姉ちゃんはヤンチャしてて家に帰ってこない。




一人でした。





小学生が家で一人。

最初は寂しくて泣いていました。



家族のだれより家にいる時間が長かった私。
何時間泣いても帰ってくる人はいませんでした。



せめて友達と遊んでいれば、
気がまぎれたんだろうけど、

クラスにはなんだかなじめなくて
友達って呼べる人もいなかった。

中学生 ~やりたいことなんて、何もない~

いつしか寂しさには慣れて、


暇な時間はずっとゲームして
気がつけば中学生になっていました。


うっすらと
将来のことを考える場面がでてきます。



授業で、
「自分の夢を書いてみよう。」

って言われたことあったけど、
やりたい仕事はありませんでした。



当時のわたしは
仕事をすることに
いいイメージを感じられなかったんです。



自分にとって一番身近な大人は親。


親からは
実家の商売を継いでもらいたいな、
なんて言われていました。


末っ子なのに。



お兄ちゃん、お姉ちゃんがいたのに
私が継いでほしいといわれた理由。


知りたい方は下記からみてください。
ちょっと深刻な内容をふくみます。

末っ子の私はなぜ、実家を継いでほしいといわれたのか。





コンビニをやるようになって、
すごく忙しく働いていた両親。

特に父親はすごかったです。




オープンから10年以上、365日

1日たりとも
仕事を休んだことがありませんでした。



そんなに働いたら無理がたたります。


会うたび疲れた顔をして、
ため息をついて、

「疲れた」

「自分は頑張っているんだ」

小学生のころから何年も、何年も言われ続けてきました。




「大人ってそこまで働かなきゃいけないの?」


心のなかでモヤモヤしていました。





かといって
やりたいことがあるのかっていうと
何もなかった。





自営業がイヤなら、サラリーマンは?



サラリーマンも、
なりたいとは思えなかった。



私にとってのサラリーマンは
テレビに映る、新橋のサラリーマンでした。



ストレスをお酒を飲んでまぎらわせて、
会社の不満、
上司の不満を言いながら、

おこづかいは月に2万とか3万。



「不満たらたらで仕事してるのに、おこづかいそれしかないんだ。。。」




どっちもイヤ。
やりたくない。

けど、ほかにどうやって生きていけるのか知りませんでした。



外食ほとんどしたことない。

旅行もしたことない。

習い事したこともない。




そんな私にとって
世の中にどんな仕事があるのか、

どんな仕事したら
楽しくやっていけるのかわかりませんでした。




毎日ゲームばっかりしていて、
感動するような体験とかありません。



世の中のこと知らな過ぎて
やりたいと思うことがわからないんです。



面白そうなことがあっても、
やらせてほしいなんて言えません。




父の口癖は

「疲れた」「忙しい」「お金がない」でした。



毎日のようにそんなこと言われて

旅行連れて行ってほしいとか、
習い事したいとか言えますか?




家のお金はすべて父が管理していました。

「お金がない」

「お金がない」

と会うたび口にする人に、

やりたいことがあるなんて
口がさけても言えませんでした。





いつしか、やりたいと思うことをやめました。


無気力に、とりあえず日々を過ごすことだけにしました。





やりたいことがあっても。

「金がかかる。」

どうせそう言われるんだろうな。



そう思って諦めていました。


頭をよぎるのはいつも

「仕事したくない」
それだけでした。

高校生 ~就職を先延ばしたい。それだけだった~

勉強は嫌いでした。

でも、やらないと怒られるから、
ちゃんとこなすようにしてました。



怒られるのはめんどくさい。

怒られるときって

ごめんなさいって謝っても
「なんでやらないの」って言われるし。

やりたくないからって正直に答えると
「ふざけたことを言うんじゃない」って叱られるし。

ふざけてないって言い返すと、
「ばかなこといってないでやりなさいって」言われるし、



なに言ったって怒られます。
相手の「イライラがおさまるまで」とりあえず怒られます。

もう、時間の無駄すぎてめんどくさい。



真面目なフリをして、ちゃんと勉強はしといて、
暇な時間はゲームしよ。
ってだけ考えてやりました。


しかも、いい成績とる人は
周りから「すごい!」って褒められます。

悪い成績とって
「こんなんじゃ、将来ろくな仕事に就けないよ」


って言われるより
よっぽどいいと思って、
勉強はしっかりやってました。



動機はやましいけど、
いい成績とって面倒なこと言われないようにしよう。


頑張って勉強して地元の進学校にはいりました。




すると私にとっていい出来事が起こりました。



入学式で、
「わが校の生徒はほとんど全員進学します。」

というのです。



「これはやった!!」
と思いました。





父は実家を継がせたかったようですが、
どうしてもイヤだったので、


「この学校はみんな大学いってるよ、私もいかせてよ。」
と言い訳しやすくなったんです。



今考えると最低だなって思いますが、
その時の運は私に味方しました。




高校入学してすぐに
先生から勉強法を教えてもらったおかげで、
入学当時よりも成績がかなり良くなりました。



すると高校2年生になったころ、
先生から言われたんです。

「志望校を東大にしたら?」
「目標は高いほうがいいって」






なんか軽いノリで言われました。

「えーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!」



さすがに驚きました。


でも、思ったんです。

「東大受けるのをとめる人っていないでしょ。これでいこう!東大受験しちゃおう!!!!」

高2のわたしは、
東大受験することに決めます。



ここまで読んでくれている人は
わかると思いますが、
私がこのとき考えていたのは

「東大受験するぐらいの子を、
大学いくなって止める人はいない!
あと4年間、就職延期できる!! 」

でした。


親不孝な子どもです。

大学生 ~言い訳もウソも限界に~

春、私は大学生になりました。

東大はあと16、17点足りず、
後期受験で東北大学の学生になりました。




4年間もあるし、
地元もはなれていろいろ見てたら
やりたいことも見つかるんじゃないかな。


なんて軽く考えていました。



とりあえずレポート書いて、
サークルはいって、アルバイトして、

なんとなく過ごしていました。




高校生のころより時間を持てあまして、
とりあえず毎日暇をつぶす。

そんな感じでした。




ですが、わたしにも
人生が変わり始めるきっかけがありました。


大学2年生のころ、ある人と出会います。




その人は4年制の大学を出た後、
実家の仕事を2年間ほど手伝って、

美容学校に通ってからすぐ
フリーランスのヘアメイクとして働き始めた。

という人でした。



親の商売を継ぐのもイヤ、
サラリーマンにもなりたくない。

と思っていたわたしにとって、
フリーランスという働き方はすごく魅力的に映りました。


しかも、美容っていうジャンルも興味があったし、
これならやってみたいと思いました。




さらには、見本になる人もいる。



みんなが就活をしていた大学3年生。

美容学校に進学することを決めた私は、
父を説得しなくてはいけませんでした。




ウソついていたんです。





東北大生となって、入ったのは理学部。
学生は基本的に大学院に通う人ばかりだと聞かされました。



やりたいことが見つからなかったときの保険で、
「自分も大学院に行くかもしれない」
と言っていた私は


ついに、自分の言い訳を
清算しなければいけないときがきました。






人生のなかでも、
いちばんつらい時間の一つだったと思います。



父から言われました。


「実家は継ぎたくない。
 大学院に行くといっていたのにそれもいかない。

 仕事もしたくない。
 なにをやりたいんだかわからない。

 お前からは芯を感じない。

 
 自分も、お前のお姉ちゃんも
 お前を学校に行かせるために
 一生懸命仕事をしているのに、

 いったい何がしたいんだ。」





そう、迷惑をかけていたのは父にだけではありません。

姉にもでした。




「メイクさんになりたい」
中学生のころからそう決めて

高校卒業して専門学校に通っていた姉は、
実家の人手不足を理由に、
やりたい道をあきらめて実家を手伝ってくれていました。



すでに6年。




せめて私が学生を続けている間は、
実家を人手不足にするわけにはいかない。
と働いてくれていました。



私が、さらに学校に通うとなればさらに数年。
お姉ちゃんは自分の夢から遠ざかることになります。


しかも大学院じゃなくて美容学校って。


「今までやってきたことはなんだったの。」




優しい口調でしたが、
姉からはそう言われたように思います。




返す言葉はありませんでした。

最低な人間でした。





それでも、やりたくない仕事をして
生きていく自信はなく、

なんとかお願いにお願いを重ねて

美容学校に通わせてもらえることになります。




私は弱い人間でした。

やっと見つけたやりたいこと。でも夢半ばで断たれた。2度目の挫折。

なんとか美容学生になり、

これまで迷惑をかけてしまった分、
今回は決めたことを必ずかたちにしようと決めました。




卒業してからすぐにフリーランスになれるよう、
学生やりながら、アシスタントとしてサロン勤めもしました。

朝は9時から学校、夜は24時過ぎに仕事がおわる。



そんな生活をがんばって乗り越えて
フリーランスになります。




でもフリーランスだと、
「ゆきさんにお願いしたい」って選ばれる人にならないと
仕事はない。

どうしたらいいか考えた結果、
銀座でホステスもはじめました。



わたしの中で、銀座でホステスやってる人は
「見た目も中身も磨いた人。」
というイメージがあったんです。



そのなかで結果をだしたら、

「やってほしい!!」
ってフリーランスの仕事にもつながるじゃないかな。と考えました。



銀座でホステスやる中でも
大変なことはありました。


初めて働いた日、
お客さんとの会話に入っていけないし、
緊張で表情が固くなっていたら、

ママから呼び出されて
「笑顔がないよ!」と怒られたり、


3か月でクビになったお店もあります。



それでもなんとか頑張って、
銀座で働きはじめて1年10ヶ月。
チーママっていう役職をもらうことができました。


ヘアメイクの方も、
自分がチーママとして勤めている
お店の女の子たちから、

「出勤するときのヘアセットをやってもらいたい!」といってもらえるようになり、


お店の専属ヘアメイクチーママ
というかたちで、仕事につながったんです。


父から厳しい言葉をもらい、
これからはちゃんとしようと決めたあのときから、
成長することができました。


自分の思い描いたことが
かたちになっていったんです。



ホステスとしては、
お店から、ゆくゆくはママを任せたい。
ということを言ってもらっていて、

自分も、ぜひともお受けしたいって気持ちでした。


銀座でママを経験できる人なんて、なかなかいないし、

もともと銀座で結果をだすって決めて
ホステスをはじめたわたしにとっては、
願ってもないことでした。


このときのわたしは自信をもって、
「人生で今がいちばん楽しい!」といえるような状況でした。



2020年、当時 新型コロナウイルスと
いわれた感染症が、
世界中で大流行するまでは、、、。

とつぜん無職になった銀座ホステス。まさかの、せどりで大復活。


「お店が閉店することになりました。」



2020年の4月、緊急事態宣言がだされ、
みんなが外出を自粛し、
街から人が消えたとき、

お店の店長から、1本の電話がありました。


私自身も、外出自粛で家にいたとき、
知らせをうけたんです。



あのときの、先が見えなくなったような、
目の前が真っ暗になったような感覚は今でも忘れられません。

やっと、やりたいことを見つけたのに、
思い描いたことがかたちになりそうだったのに、


未来への希望が、ぼろぼろと崩れ去るのは
あまりにも一瞬で、
あっけないものでした。



なにも考えられなくなり、
言葉につまったわたしは思わず、

「店長はこの先どうするんですか?」

と聞いていました。


このときの自分を振り返ってみると、
本当は、店長がこれから何をやっていくのかが聞きたかったのではなく、

「わたしはこの先どうやって生きていけばいいんだろう?」


という迷いや不安への、
答えを求めていたんです。

こうして、とつぜん無職になったわたしは、
次の稼ぐ手段を探さなくてはいけない状態になりました。


毎日、生きていくだけで生活費がかかるのに、
そのうえ、ズッシリ重たい税金も払わなきゃいけない。

こんな状況を立て直せるような手段が必要でした。

特に税金の負担は大きくて、キツかった。


コロナ前まで銀座でチーママをしていた分、
同世代と比べると収入が高かったんです。

税金って、高収入になるほど
負担が大きくなりますよね。


それが無職になった私に降りかかってくるなんて、
考えただけでもゾッとします。



大変そうにしてる私を見かねて、
学生時代の同級生(会社員)から
「うちの会社にくる?」

って声をかけてもらったこともあったんですけど、


入社1年目の給料は月18万円なんだそうです。


友達の気持ちはすごくありがたかったんですけど、
正直、その給料じゃムリだ、、、、、。

と感じたんです。


なんせ、月の給料が18万円だと、
家賃と税金あわせただけで、大赤字になるような状態だったからです。


ちょっとお金たりないな。
なんてもんじゃなくて「大赤字」になっちゃうので、

ご飯も買えない。
電気代も払えない。
スマホ代も払えない。

どうやっても生活していけないんです。



それに、私の学生時代のエピソードで
お話ししたように、

子どものころから「就職したくない」って
気持ちがつよかったので、
今から会社員になるっていうこと自体、考えられませんでした。


金銭的にも、精神的にもキツイなか、
なんとかヘアメイクの仕事を見つけてきたり、
派遣でコールセンターの仕事をしてみたり、

朝から夜まで働いて
どうにか食いついないでいたところ、
大復活のきっかけに出会います。

それが2020年の秋、
ふと眺めていたTwitterで見つけた、
とあるアカウント。

月収16万円の会社員だったのに、
カメラのせどりをはじめたら年収2000万になった
、という人でした。

こういうのって詐欺が多いし
「またいつもの胡散臭いやつか。」
なんて思っていましたが、

ツイート見てみると
言ってることがすごくまともで、
納得できるものが多かったんです。



「この人は変な人じゃないかもしれない。」と
ブログを読んだり、
メルマガにも登録しました。



その人のメールとか読んでいる中で、
カメラせどりを学べる塾にはいったことで、
稼げるようになったんだ。

ということがわかり、
その塾に興味がわいていきます。


でも、すぐに塾に入ったわけじゃなかったです。


いわゆる高額塾っていわれるようなもので、
年間30万円はかかるって言われて、

いやー、高いなーー。

と。尻込みしてました。



毎月、食いつないでいくのも
やっとだった私にとって、
30万円は大金だったからです。

しかも、詐欺だったらお金失います。


それでも、現状を変えないと、
生活を立て直すことはできないから、
塾への興味が消えることはない。


かなり迷いましたが、
月収16万円から年収2000万年になったって人のブログを全部みて、

塾の運営してる人のブログも全部みて、


すでに塾で学んでるよ。
っていう人たちが書いてるブログも全部みて、


覚悟をきめました。



どの人の発信をみても、
詐欺師に特有の「違和感」が感じられなかったんですよね。


詐欺のやつって、
「カンタン、楽々かせげる」とか
「1日5分で大金が手にはいる」とか

そんなうまい話あるわけないだろ、
ってツッコミ入れたくなるようなこと言ってたり、


なんか、前にいってたことと
違うこと言ってない??

と、つじつまの合わない内容を伝えていたり、
どこか変なんです。



そういった違和感がなかったので、
勇気をふりしぼって、私もこの塾で学ぼうと決めました。

最悪、詐欺だったとしても、
とられるのはお金だけで、
死ぬわけじゃないから、なんとかなるでしょ。

なんてことも考えてましたね。

自分にも本当にできた!気づけば、自由も手にしてた

塾で学んだことで私がどうなったかは、
すでにお伝えした通りです。


カメラせどりはじめて7か月後には、
これだけでご飯が食べられるくらいになり、

いまでは毎月のように月収100万円以上 稼げるようになりました。


カメラのカの字も、せどりのセの字も
わからないところからスタートしたから、

最初こそ、時給でいうと200円~300円くらいだったんですけど、


塾のマニュアルから学び、
先輩たちのアドバイスも受けて行動したことで、

どんどん利益は伸びていきました。


そして、お金も時間も自由になったんです。


ご飯食べにいくのも、趣味も、
お金を気にせず楽しめるようになったし、

自分が好きなときに休みがとれるから、
旅行とか、遊びもいきたいときに行けるようになりました。


かなり迷ったけど、
勇気だして1歩ふみだしてよかったです。



塾にはいる前は、
費用が高いなって思ったけど、

もし時代が違っていたら、
個人でビジネス始めるためには、
もっととんでもない金額を投資しなきゃいけなかったんですよね。



あるとき父親に、
コンビニをやるには
いくらお金がかかるのか聞きました。

細かい数字は忘れてしまいましたが、
たしか2,000万円とか3,000万円とかだったきがします。


利益が出ても、
本社に粗利の半分くらい持っていかれる。


10年以内でやめれば数百万円の違約金。


・やるにも大変
・続けるにも大変
・でもやめるにやめられない。

そんな3重苦。



せどりとコンビニって、
小売業って意味では
同じジャンルのビジネスですけど、

初期投資に必要な金額がぜんぜん違います。



コンビニだったら、銀行に多額の借金しないと
はじめることすら難しいですが、

いまはネットを活用してせどりをすることで、
だれでもはじめられるようになりました。



塾の費用にしたって、

いまは手元にお金がなくても、
アルバイトがんばったり、
クレジットカード活用すれば、

どうにでも出来るな。って思います。



せどりって、
ほかのビジネスと比べて難易度が低いから、
だれがやっても稼ぎやすいんですけど、

実力ついたら、時給で10,000円超えるくらいの
ポテンシャルがあるんです。


実際、私がそうなってます。



高校生のときなんか、実家のコンビニで
アルバイトとして勤務したこともありますが

時給630円くらいでした。1,630円じゃないですからね。



高校生のときの私の1時間は630円だったんです。


身支度を整えて、仕事場に出勤して、
ときどき面倒なお客さんにつかまったりして。

それでお金稼いでいたんです。


下手したらラーメン一杯も食べられない時給で。


それが、サクッと仕入れにいくだけで、
何倍ものお金を稼ぐことができる。


いまは、さらに新しいこと学んで、
事業主としてもっと成長していこうと、
取り組んでいます。

―――――ゆきの物語 おわり――――――

ブログのコンセプトをおさらい

わたしのブログは
「人生で今がいちばん楽しい!」といえる人を増やすこと。

がコンセプトです。


そのために、
お金と時間の自由を手に入れてもらえるよう、
発信をしています。


私の経歴をお伝えすると、
ゆきさんだからできたんだ。とか
商才があったんだ。

なんてことを言われることが
ちょこちょこあるんですが、

まったくそんなことはありません。



たしかに、学歴や経歴だけみれば
すごい人にみえる部分もあるかもしれませんが、


ビジネスに関しては、
それまでの知識、経験はまったく関係ないジャンルに取り組みました。


それでも、稼げるようになったのは、
正しいやり方を学んで、行動したからです。


私と同じように、塾でカメラせどりを学び、
稼げるようになった人たちのなかには、

大卒はもちろん、
高卒の人も、中卒の人だっています。


それまでの経歴だって、
会社員、現役大学生、主婦、郵便局員、保育士と、

それぞれバックグラウンドをもっている人たちが、
学び、行動し、人生を変えています。

あなたもぜったい稼げるようになります。
なんて聞こえのいいことを言うつもりはありません。

ですが、確実に言えるのは、

正しいやり方を学ばないまま、
闇雲に努力しても
人生変わることはない。

ってことです。



私も初心者からのスタートでした。
でも、人は変わることができる。

ちょっとしたきっかけと知識、
そして行動をしていくことで
人生はどんどん楽しくなるんです。



日本人は真面目で優秀な人が多いです。
きちんと学べば、できる人がたくさんいます。


ビジネスに関しては、
幼いころからを学んでいないから
わからないだけで、

日本人の理解力や知識レベルでいえば
わからないわけがないんです。



学ぶほど、お金は増えるし
時間の余裕もできて
そしてまた、学べる。


お金と時間の自由が手にはいる
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